優海の「死」。それを切っ掛けとした師から弟子達への脅迫。兄弟子ザックに罪を着せようとしたバラン。そんなバランを守る為(?)に自分を信じた弁護士を裏切り、自分の他に身寄りのない娘を置いて逃亡したザック。
ザック・バラン、そして第三者である葉見垣までもが口にした、或真敷一座の「歪み」という言葉。
数年に渡るギリギリの人間関係の中でそれぞれが混乱し、愛憎が絡んで常規を逸した行動を取っていた──7年前に関してはそう言えるかもしれませんが、現代編の
■ イカサマをでっち上げてまで娘を育てた恩人を陥れようとしたザック
■ 記憶を取り戻したにも関わらず、夫が殺されていたことに無関心な(ように見える)優海
の部分も含め、とても無気味な印象を受けます。
♠ 天齋の歪み《真意》
記憶を取り戻した優海は成歩堂に「10年前、意識を取り戻した自分はもうそれまでの自分とは違っていた。だから一座を離れた」と語っていますが、記憶を失い、視力をも失っていた不安定な優海が自分から一座を抜け出したのは、第三者としてそうした「歪み」を感じ取った為ではないでしょうか。
ザックとバランは優海は死亡したと信じ込み、事故以降優海の姿を見ていなかった。ということは、記憶を取り戻した優海が「歪み」を感じたのは父である天齋からだと思われます。
そもそも天齋の行動が異常なのです。
1, 「断れない事情」があることを匂わせた上で「自分を殺せ」と指示する脅迫状
2, 大事な権利譲渡書類を、その場で手記に記して破いて渡すという行動
3, 脅迫状の状況に合わせるかのような、バランの銃で額を撃ちぬいての自殺
全てが「弟子達を追い込む為の罠」のように見受けられます。
2に付いて天齋は「自分を撃つか撃たないかが最後のテスト、正しいものを撃てば権利を譲渡し、もし自分を撃ったのならば或真敷の技は失われる」──撃つか撃たないかを確認する為にその場で書いたと説明します。またバランは「天齋が事故を公にしなかったのは、天齋から《ザックとバラン》への世代交代の大事な時期だった為」と語ります。
しかし、「娘の死」を世間に伏せてまで或真敷の技を継がせようとしていたというには、天齋の「テスト」はあまりに不確定すぎます。またザックとの会話の中で「(ザックがもし天齋を撃っていたら)その時はそれで終わり」と語っていた様子からも、天齋自身ザックがテストをクリアすることを確信していた訳ではなく、むしろ権利譲渡自体にそれ程執着がなかったかのような印象を受けます。
何よりも不自然なのは、優海は死亡していなかったという事実。優海が記憶と視力を失い魔術師としての再起が難しくなり、例えその事実がザックとバランを苦しめるとしても、「死んだ」ことにする必要は全くないのです(「死んだ」ことにするよりは全然マシ)。
「優海は死んだ」という、弟子達を必要以上に追い詰める嘘。
ザックとバランに全く権利譲渡する気がないような行動。
弟子達の仕業に見せ掛けるかのような、例え真実が分かったとしても弟子達が世間の疑惑の視線に晒されると思われる自殺。
天齋は最初から弟子達に或真敷の技を伝える気は全くなく、ただ弟子達を苦しめる為だけにこれらのことを起こしたように感じられます。
それは真の後継者として考えていた優海を魔術師として再起不能にした、弟子2人への復讐だったのではないでしょうか。
7年前の天齋の自殺。或真敷一族──嘘と動揺を見抜く天齋が弟子達の「一瞬迷わなかったといえば嘘になる」という殺意を見逃す訳はなく、またバランがあらかじめ天齋の死を偽装する準備を整えて病室に来たことも見抜いていたことでしょう。だからこそ天齋は2人それぞれに疑惑が残るよう、ザックに銃を持ち帰らせ、バランが来るまでの手記の続きを記さず、自らの額を撃ち抜いたのだと思われます。
優海が事故の後も一座に留まれば、あるいは天齋自身が病に侵されなければそこまでやらなかったかもしれません。しかし娘が姿を消し、自らの命があと3ヶ月と宣告され、或真敷の人気も衰えてゆく中(天齋の入院後ザックはみぬきの給食費を払えなくなっている)、天齋は最期にいっそ何もかもを壊してあの世に持っていきたかったのかもしれません。
♥ 一座内の歪み《本質》
一方そうした天齋の真意に気付いていない弟子達の間にも、確執がありました。
■ 兄弟子に罪を着せようと画策するバラン
■ 法廷でのバランの証言からその目的は察しているはずなのに、庇うように姿を消すザック
作中から伺えるザックという人物は師と妻──或真敷の力にコンプレックスを持ち、友人の葉見垣を些細なことで殴り、恩がある成歩堂をイカサマで陥れようとし、そのイカサマの失敗の腹いせに女を鈍器で殴るという、豪快に見せて実際は陰湿で嗜虐性のある男でした。
そんな傍若無人なザックがバランに対して見せる、気味が悪い程の遠慮。本物の天齋の手記の1ページを提出さえすれば、ザックは自分の他に身寄りのない娘を置き去りにして逃げる必要はなく、成歩堂も捏造された証拠品を提出せずに済んだことでしょう。それをしなかったのは、出した時点でバランの偽証がバレることを危惧した為と思われます。
それは弟弟子への深い愛情故か。しかしそんなザックに対し、バランは始めからザックに罪を着せることを前提に準備を進めていました。日常からザックがバランに対し愛情深く接していたのならば、バランも良心からそんなことは出来なかったと思われます。
では日常2人の間にあったものは何か。それはザックからバランに対する一方的な暴力だったのではないでしょうか。
或真敷一座という閉ざされた世界。優海の事故を切っ掛けとした師の脅迫。ザックはその捌け口をバランに求め、バランは兄弟子からの不条理な仕打ちに耐えるしかなかったとしたら。
天齋の死を機にバランがザックを陥れようと画策したのも、そうしたバランに対する後ろめたさからザックがバランを庇おうとしたのも、納得出来るような気がします。
「心を覗かれる恐ろしさはあったが優海の目が好きだった」──優海に惹かれながらも、自らの本質に触れられることを恐れていたザック。全てを見抜く師・天齋、そしてその娘と孫である妻子に嗜虐性を向けることは叶わず、ザックの歪んだ欲求は一座内の下位者・バランへと向けられていたのではないかと思われます。
みぬきから見たザックは「良き父親」であったことが伺えますが、或真敷の力を持ち、かつ彼の妻である優海には、ザックの本質──性癖がありありと見えていたことでしょう。記憶を取り戻した優海が夫であったザックに対して何も言及しないのは、2人が「夫婦」であった時から既に「歪み」が始まっていた為かもしれません。
♣ ザックの歪み《目的》
1, ポーカーの勝敗で弁護士を選出
2, 自分を信じて弁護に立った成歩堂を裏切っての逃走
3, 娘のみぬきを引き取って育ててくれた成歩堂を、イカサマをでっち上げてまで陥れようとした
何よりザックの行動を理解し難くしているのはこれらの部分ですが、1と2に関しては簡単です。
ザックは弁護士など信じてはおらず、逃げ出す準備を整える時間を稼げる人間を探していただけだったのです。
最初からザックは逃亡することを前提に法廷に立っていたのだから、弁護士は牙琉 霧人だろうが成歩堂 龍一だろうが誰でも良かったのです。ただ、「あの時は逃げるだけで精一杯だった」と語った通り、脱出の経路を(みぬきに)確保させるには、それなりの時間が必要だったと思われます。だからこそ、ポーカーで勝負強い人物を選出する必要があったのでしょう。
「真剣勝負の時はその人間の本質が見える」──ザックはそれらしいことを語りますが、ポーカーを通して見ていたのは勝負に対する粘り強さと、自分が《消失》した後、残されたみぬきをその人物がどう対処するかの部分(情に厚いかどうか)でしょう。実際成歩堂はザックが期待した通りの弁護士で、逃げるまでの時間を稼ぎ、みぬきを引き取り育ててくれました。ポーカーには負けたものの、ある意味ザックは成歩堂との「勝負に勝った」と言えるのかもしれません。
そして3。
弁護士風情が「ちゃちなイタズラ」をしているのが許せないと、ポーカー勝負を挑むザック。成歩堂はその行動を「勝負への執着」と解釈しますが、ザックはこの時自分自身のコンプレックスを垣間見せています。
《或真敷の力》に付いて聞かれ、《サイコ・ロック》を顕わすザック。
「“負け”は天齋ひとりでいい」「《無敗》など、あり得んのだよ」という台詞。
「いい目をしている」と認められながらも或真敷の力を持たないが故に天齋に勝てず、そればかりか或真敷の力を持たない成歩堂にさえ負けたザック。
もしかしたらザックも7年間の潜伏期間に、天齋の真意に気が付いたのではないでしょうか。
天齋の目的が自分への権利譲渡ではなく、自分とバランをただ踊らせる為だけの茶番にあったことに。
「そうではない」という自負が「天齋(特別な力を持った者)にしか負けたことがない」=「或真敷の力はなくとも天齋に次ぐ天才である」という自信に裏付けられていたものだったとしたら、7年前、成歩堂との勝負に敗北したことは、ザックにとって認められない事実だったことでしょう。
もし自分が弁護士ごときに負けるような「凡人」ならば、天齋は技を譲るはずはなかったろう。ならば真の後継者として考えていたのは誰か。それは或真敷の血を引く優海であったはずで、その優海を「殺し」てしまったのは自分かバラン。
では何故天齋は自分とバランを後継者とし、あのような《テスト》を行ったのか。──それは自分とバラン、一人娘の仇となる人間を陥れる為の罠だったのか?全てを見抜くあの老人は、自分とバランの歪みをも見抜き、事態がよりこじれることを見越してさも「技を継承」する演技をしていただけなのだろうか?
答えを知る天齋は既におらず、7年もの間に不信は確信へと変わる──7年前の事件で有罪判決こそ受けなかったものの、ザックは折角得た権利を行使することなく、表舞台から退き闇に潜伏しなければなりませんでした。しかしそれを認めてしまっては自らの存在意義を、7年間全てを否定することになる。だからこそ、例え娘を育てた恩があっても「自分より強い人間」──成歩堂を何としても否定する必要があったのではないかと思います。
7年前、成歩堂は法廷で《捏造された証拠品》を提出しました。ザックはそれが成歩堂が用意したものかどうか知る由もなく、また「成歩堂はやっていない」と信じる理由もありませんでした(ザックが成歩堂を選んだのはあくまで「時間稼ぎ」とみぬきを見捨てられないであろう人格的な部分にあり、信頼を寄せていた訳ではない)。
その前提もあり、ザックは「成歩堂は偽のカードを持ち込んだイカサマをやっているに違いない」→「偽のカードを使ったイカサマ師に仕立ててやろう」ということを無意識に思い付いたのではないでしょうか。
逆井を殴った後、成歩堂が通報する為に1階に上がっている間、逃走するべきザックはそのまま椅子に腰掛けていました。
実力で成歩堂に2回負け、陥れる為のイカサマさえも失敗し、ザックにはもう何も残っていなかったのかもしれません。
2007年6月28日・【手記】掲載 |