サーカスの闇

 「悪いヒト、いなかったんですよね…?」
──閉廷後、真宵ちゃんはそう言いますが実際はどうだったのでしょうか。

 他愛のないいたずらでバットに重傷を負わせ、その意識を断ってしまったミリカ。
 ミリカに殺意を抱いた為に恩ある団長を殺害してしまい、その罪を結果としてマックスに負わせようとしたアクロ。
 「そんなつもりはなかった」「だからこそどうしても許しがたかった」──行き場のない怒りと、行き先を間違えた復讐。
 「被害者に対する悪意はなかった」という意味では「悪いヒトはいなかった」ということになるかもしれませんが、どうしてもこの事件は起こるべくして起きたものに思えてなりません。

 何故アクロは事故から半年も経ってミリカ殺害を計画したのか。それは重傷を負ったアクロ自身の体力が、計画を実行出来る程回復するのに時間を要したということもあったでしょう。
 しかしアクロが語ったミリカへの殺意のきっかけ──「『弟は星になった』と信じ無邪気に笑っている」という言葉からは、レオンの事故そのものに対してではなく、その後のミリカの態度に対する憎しみが感じられます。

 レオンがバットを噛んだ事故の翌日、団長はレオンを射殺し、悲しむミリカに「死んだら星になる」という言葉を教えます。その後ミリカは半身が不自由になったアクロの朝食の上げ下げや部屋の掃除等、身の回りの世話をしていました。
 タチミ・サーカスには裏方の作業を行うスタッフもいた様子だし、大柄なアクロの世話をするのならばある程度の体格・体力の持ち主が望ましいはずです。華奢な少女でサーカスの主役格の芸人であるミリカをわざわざ世話係にする必要はなかったはずです。
 そんなミリカがアクロの世話をしていたのは、父である団長からの指示だったのではないかと思われます。
 悪意がなかった娘に犯した「罪」を自覚させるのは可哀想だが、被害者となった兄弟にせめてもの償いを。──そう考えてのことだったのでしょう。
 しかし「罪」を自覚していない少女に、そうした父親の配慮が通じるはずはありません。「バットは星になった」の言葉も、おそらくアクロの部屋に上がった時に出た言葉なのでしょう。そしてその言葉が弟の絶望的な回復を待つアクロをどれだけ傷付けるかということにさえ、ミリカは気付かないのです。

 この話に出て来るサーカスの芸人達は皆、自分に対する周囲の感情には鈍いわりに、周囲が何を考えているかには聡く気付いています。それは観客の心を掴む芸人ならではの能力なのかもしれません。
 一見別人格に見えるベンとリロのコンビを、マックスは「ベンもリロもない、彼は木住 勉さ」と言い切ります。リロが喋る時、ベンの横顔をよく見ると微かに唇が動いている点からも分かるように、「リロ」はあくまで木住 勉が演じているキャラクターであって『人間に本気でプロポーズする人形』なんてものは存在しないのです。
 ベン自身がミリカに好意を抱いており、それを口に出し辛い為「リロ」に代弁させていた──そういうことなのかもしれませんが、それにしては「リロ」の行動はあまりに子供騙しすぎます。30を過ぎたベンが婚約指輪として《ガラス製のダイヤの指輪》を真剣に選ぶものでしょうか。
 やはりベンは「リロ」として『人間に本気でプロポーズする人形』を演じていただけであって、「ベン」としてミリカに対し何らかのアプローチをしたかったわけではないのだと思います。
 では何故ベンは「リロ」を演じなければならなかったのか。
 それはミリカが信じている架空の世界を守るためだったのではないでしょうか。
 法廷にミリカを連れ出し、最終的に真実と向き合わせたトミーも、レオンの事故に心を痛めながら「ピュアなミリカ」に付いて聞かれると「それがいいことか悪いことかはピエロには分からないんだから」と嘯いていました。レオンの事故から半年後に団長が殺害されるまで、トミー含めサーカスの人々は皆ミリカの目を現実から反らせ、彼女にとって優しい世界を演じ続けていたのです。
 それはまだ幼い精神しか持ち得ないミリカが真実に耐え切れなくなることを恐れていた為でしょう。またミリカがサーカスの団員全てから敬愛されている団長の娘であり、厳しく接し辛かったということもあったのかもしれません。
 しかしそれは、被害者となったバットとアクロの気持ちをないがしろにする行為に他なりませんでした。
 もし誰かがアクロの気持ちを代弁し、ミリカを叱責していれば。ミリカが真実を見詰める機会を得ていたならば、半年後の事件は避けられたのではないでしょうか。
 また皮肉なことに一番それをしなければならなかったのは、半年後の事件での被害者──ミリカの父親である立見 七百人でなければならなかったのだと思えるのです。

 下半身が動かないアクロの部屋が3階にあった、という点も気になります。
 “殺人者に告ぐ”という告発文に顔色を変え張り紙を破き、わざわざ変装して事件現場に向かった団長は、アクロがミリカに対して殺意を抱くであろうことも予想していたのではないでしょうか。トミーもアクロが真犯人であることに気付いていたことから、その殺意を察していたと思われます。
 だからこそ万が一が起きないよう、一人で宿舎を出入り出来ないようにアクロを3階に閉じ込めた──そう思えます。
 団長やトミーにしてみれば、アクロが他に頼るものがない状況でミリカに接していれば、そのうち互いを理解出来るようになると考えていたのかもしれません(もし3階のアクロの自室でミリカに危害が及ぶようなことがあれば犯人はアクロと確定してしまう=弟を案じるアクロならば捕まるようなことは出来ない=ミリカはかえって安全と無意識に思っていたのかもしれない)。しかし2人は理解の場に立つ以前の状況で、ただただアクロの憎しみだけが募っていったのでしょう。

 身動きのとれない3階の自室で、弟と自分の身体を不随にした人間に世話をされ、自覚がない故の「無邪気な毒」をこぼされ続ける。
 事故から半年経ってなお、むしろ経ったからこそアクロがミリカを深く憎み、殺害を計画するようになった気持ちは理解出来るような気がします。

 立見 七百人を殺害したのは立見 七百人自身であり、団員達であり、サーカスという環境であり、ミリカだった。──そう思います。

 EDでミリカは「バットが目を覚ますのをアクロの代わりに待つ」と言いますが、『逆転裁判3 真相解明マニュアル』によるとバットは死亡したとされてます。
 ミリカにとって、そして事件が起きるまで現実から目を反らそうとしていたサーカスの団員達にとって、「何よりも厳しい現実」がED後に待っています。



2008年3月18日・【手記】掲載

 

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