Kleinsche Flasche・4

2019年 2月7日(木) [22:52] 吾童山 葉桜院




山門に辿り着いた頃には舞子さまのお身体はすっかり冷え切り、生者にはない柔らかさでダラリと弛緩していました。
スノーモービルを操る間も、膝の上の不安定な舞子さまのお身体は何度か雪の上に滑り落ちかけて、私はヒヤリとしたものでした。舞子さまには仕込み杖が刺さったままなので、固定するわけにはゆかなかったのです。

スノーモービルから舞子さまを下ろすと、私は舞子さまの脇下に手を入れ慎重に運び始めました。新雪を踏む私の足跡に重ねて、舞子さまの引き摺った踵が2本の細い跡を残します。
この光景を誰かに見られでもしたら…。気ばかりが焦り、いつもは苦にもならない境内までの距離を随分長く感じました。杖にはゆるく鞘が被せられておりましたが、こちらも気を抜くとスルリと抜け落ちてしまいそうです。
橋を出た時にはちらついていた雪も、今はもう止んでいます。冷たく乾いた風が目に凍み、自然と涙が零れました。




──まさかあの方と再びお会い出来るなんて。
            それもこんな禍々しい日に。

先刻本堂で言葉を交わしたリュウちゃんのお顔が思い出され、こんな時だというのに私の心は千々に乱れます。
神乃木さまがおっしゃった通りに葉桜院を訪れた次期家元・綾里 真宵さまは、何故かリュウちゃんをお連れになっていて…そしてお二人はとても仲睦まじく見えました。


ああ、私達が守ろうとしているこの人は、リュウちゃんの大切な人でもあるのだ。
リュウちゃんの為にも、私は真宵さまをお守りしなくてはならない。
──そう思うのに、私の胸はチリチリと痛みました。


好ましく思っていた、リュウちゃんの大らかな笑顔。
少し掠れた優しい声。
乾いた感触の大きな掌と固い指先。
広い肩と逞しいお胸。温かな背中。


…リュウちゃんを欺き傷付けた私に、リュウちゃんのお側にいる資格などないというのに。









舞子さまのお身体を境内へ運ぶのは、小柄な私には随分と骨の折れることでした。
お姉様を霊媒すればこういうことになると、舞子さまはお覚悟の上でこの計画に望まれました。霊媒前にご自分のローブを私にお預けになったのも、ここまで考えてのことだったのかもしれません。
雪の上に血が広がらないようローブを敷き舞子さまを横たえて、私は舞子さまの背から生えた仕込み杖の柄を握りました。
ずるり、と刀身が肉を抜ける感触が柄から伝わり、皮膚が粟立ちます。刀が抜けたその瞬間、舞子さまのお身体から血が飛沫き、私の装束と首筋を冷たく濡らしました。
恐怖から目の前が一瞬暗くなり、私はよろけて危うく踏み止まりました。 毘忌尼さまのお声が聞こえたような気もしましたが、そちらを伺う余裕はありませんでした。
濃い血の匂いに酔いながら、私は正気を失わぬよう、とりとめない思いを心の中で呟いていました。




真宵さま。
真宵さまをお守りしなくては。
真宵さまは倉院の家元の血を引く方。
舞子さまがそのお命を賭けて守ろうとしている方。
そしてリュウちゃんの大事な人。
私は卑怯で弱い女です。
その業を僅かなりとも償えるのであれば──お母様にこれ以上罪を犯させない為にも、真宵さまをお守りしなければ。
ああ、真宵さま。
愚かで卑屈な私は、貴女を羨ましく思います。
舞子さま──お母様にこれ程までに大事に思われて。
リュウちゃんのお側にいられる貴女が。
真宵さま。
貴女が、貴女が羨ましい──









私は舞子さまにローブを着せ直すと供子さまの像の元へ運び、その背の傷に深く七支刀を突き立てました。
 
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