用語補完・考察

ゲーティアの小鍵

運命 <さだめ> より免れ得た人々考察

デウスの構築人種 (スファラディー) となるべく生み出されたアニムス=ヒトは、天帝カインが抑制しガゼル法院がその執行権を持つ《ゲーティアの小鍵》の発動により、部品としての本来の姿に還元される。

《ゲーティアの小鍵》の発動によりデウス本体を搭載していたマハノンは浮上し、人々は一斉にスファル人へと変容した。
しかしそれはヒト全ての上には起きず、またトーラのナノマシン治療により変容を食い止めることも可能だった。
それはヒトが種として独自の進化を遂げていくうちに、構築人種 (スファラディー) としてあるべき必然性を薄れさせていった為と思われる。

シタンは作中バトルメンバーの刻印解除を行う為に、裏切りを装う形でソラリスへと導くが、実際バトルメンバーの肉体的な刻印は自然に外れかけていた。アニムスに本来備わるはずのなかったエーテル能力や抑制されていたはずのソラリスへの反抗心は、肉体的刻印からの解放の現れだったのだろう。

バトルメンバーやソラリスに対抗する形となった立場の人々 (ユグドラシル乗艦員・シェバト・ニサン修道女等) に変容する者が目立って現れなかったのは、肉体的刻印を克服していた=ヒトとしての新たな進化を遂げていた為と思われる。

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守護天使

ソラリス特務遂行官用語補完

帝室特設外務庁 ゲブラーと帝室特設教務庁 教会の長・及び天帝カインにより任命される特務遂行官の総称。

遂行官には各々の管轄下において、ソラリス運営に当たるほぼ全ての権限が委譲される。
現守護天使はカーラン・ラムサス (ソラリス最高司令官兼任)、ミァン・ハッワー (幕僚会議議長兼任・《処刑人》)、ヒュウガ・リクドウ (監視者シタン・ウヅキ)の3名。

各々の守護天使としての活動は秘されており、守護天使同士にあってもその目的は互いに知らされていない。
ミァンにおいてはその正体自体を伏せられている。
表向きソラリスより離反しているヒュウガも守護天使としての権限は有しており、天帝カインの密偵としてソラリス国内及び地上で自由に動くことが認められている。

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アーネンエルベ

導く者考察・用語補完

作中しばしば出てくる《アーネンエルベ》という言葉は、「この世に生まれた人々と共に新たな地平へと歩み進む、来るべき神人」という意味で、天帝カインがヒトの新たな可能性となる『接触者』フェイを指して用いられている。

しかし本来はM《マラーク》計画においてゼボイム文明に生きるヒトを『第3期アーネンエルベ種』と呼ぶ等、ミァンやガゼル法院がデウスの部品として不適合と見なしたヒトの文明をリセットする際に使用していた言葉である。
『第3期アーネンエルベ種』とは、ヒトがそれまでに過去2回のリセットを受けていることを表わしている。
すなわち本来の《アーネンエルベ》とは、「人々を時に粛正しつつ神の部品として正しく導く」M《マラーク》計画を推進する者=ガゼルを表わしていたものと思われる。

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百億の鏡のかけら

互いを写す鏡考察

「まるで、バラバラになったカガミのかけらのよう」──シェバトのチュチュはヒトを指してそう評する。

“Xenogears” において、ヒトは暗に “鏡” や “鏡の破片” に例えられている。
それは単純に考えて主要登場人物らに見られるように、それぞれ違う立場と考えを持つに至ったヒトが様々な理由で寄り添い、力を合わせていくことを表わしているのだろう。
ニサン正教の教義では「ヒトは弱さ故に互いに救い合うべき存在」と説かれており、“鏡” という言葉の意味を伺わせる。

また《波動存在》や『接触者』・『対存在』に代表されるように、相対的な関係が随所に強調して見られるのも興味深い。
《波動存在》はアベルの観測によって4次元宇宙内で知覚出来る存在へと変化し (逆説的に言えばアベルに観測されるまで《波動存在》というものは「この世に存在しなかった」)、アベルを『接触者』と定めた。
その『接触者』の深層意識を反映して生まれた『対存在』は、いわば『接触者』の “鏡” であったと言えるだろう。
《母 (=理想の女性・母性・庇護の為の自己儀性的性質) 》という『対存在』の特性はあくまで『接触者』の内面 (イメージする《母》像) を写したものであり、《母》そのものではない。また『接触者』自身も繰り返す転生の中で『対存在』と関わり喪失することによって、自らの鏡像であったはずの『対存在』の影響を深く受けている。

《生体電脳カドモニ》の主要素の中で対となるメス型の《生体素子アニマ》は「男性の中の女性像」・オス型の《生体素子アニムス》は「女性の中の男性像」として特性付けられており、これも「女性そのもの」「男性そのもの」を表わしたものではない (そもそも女性・男性というもの自体が相対的な存在である)。
また《生体素子アニムス》より生み出されたヒト自身も人間そのものではなく、《生体電脳カドモニ》に記録されていたであろう “人間” の写し身 (鏡像) である。

客観性や他者との関係性──相対関係= “鏡” なくしては “Xenogears” に登場するパーツはパーツそのものとして成り立たない。
それは “社会” や “文化” といった人間の根幹にあるものもまた同じことだろう。
他者の視線 (客観的視点) を通して人は自分の立ち位置を認識 (主観視) し、自らを構成していく。

互いに写し合い影響し合う事象。
登場人物。
男性性と女性性、それぞれを敢えて分けて備えているとシタンに指摘されるニサンの大聖堂。
他者を対として初めて成り立つ片翼の天使像。

それら全てが “鏡の破片” という言葉を伺わせ、その意味を深いものに感じさせる。

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